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田上雅寛(たがみ まさひろ)公式プロフィール

プロフィール

男性

 

”美シルエットを創るスタイルアップの専門家”

 

1987年6月15日長崎県松浦市生まれ。 

幼少期は、寺院が運営する保育園で活発に育つ。 

小・中と野球部に所属し、プロ野球選手になるという夢を持って強豪校に進学するも、不登校・退学危機・野球部退部という挫折を味わい、自分の内面のコンプレックスを抱く。 

高校卒業後、身体の構造や機能に興味を持ち、スポーツトレーナーの専門学校に進学し、解剖学・生理学・運動学を学びながらトレーナー活動をして経験を積む。 

治療院で出会ったトレーナーに憧れ、もっとレベルを上げたいと、国家資格の鍼灸マッサージ師の道を目指す。 

国家資格取得後、全国で有名な鍼灸整骨院に勤務し、のべ12000人以上の治療・姿勢改善に携わる実績を持つ。 

マッサージやストレッチなどの受け身での治療に限界を感じ、パーソナルトレーニングジムでパーソナルトレーナーとして活動開始。 

それと同時期に、コーチングを専門とするメンターと出会い、長年にわたるコンプレックスを克服。 

その経験から、コンプレックス克服の本質を知り、身体創りとコンプレックス克服には見た目の変化以上の関係がある事を実体験する。 

 

”コンプレックスを克服して自分を好きになる人で溢れる世界”というミッションのもと、”美シルエットを創るスタイルアップの専門家”として活動している。 

 

整骨院での骨格調整の経験と、トレーニングスタジオでの食事指導・トレーニング指導の経験を組み合わせて、独自のトレーニングスタイルを確立。 

”骨格美人”と”筋肉美人”で美しいシルエットを創れると注目されている。

 

-保有資格-

 

・NSCAパーソナルトレーナー

・鍼灸師

・あんまマッサージ指圧師

・PHI ピラティスマット I&II

・全米NLP協会認定プラクショナー

・日本NLP協会認定プラクティショナー

・LABプロファイルプラクショナー

 

はり師免許

灸師免許

あん摩マッサージ指圧師免許

NSCAパーソナルトレーナー免許

PHIピラティス免許

PHIピラティス免許

 

どんな人物なの?ここまでの簡単な歴史

 

幼少期

 

1987年6月15日に長崎県松浦市で生まれました。

身長は不明ですが、体重2240gととても小さく生まれました。

母いわく、流産しかけたとのこと。

無事でよかったです。

産んでくれてありがとう。

父・母・姉・祖母の5人家族で、とてもとても大切に育てられました。

特に、祖母からは怒られた記憶がありません。

甘々に育ったと思います。

そのおかげで、活発で自由な子どもでした。

小学生の頃、かっけっこは常に1番で、ソフトボールクラブに入り、1番セカンドで活躍していました。  

 

親子写真

子供写真 

夢を持った中学時代

 

中学に入学すると、野球部に入りました。

 その当時、プロ野球中継に釘ずけでした。

読売ジャイアンツの1番セカンドで活躍していた、仁志敏久選手に憧れていました。

自分自身、身体が小さかったこともあり、仁志敏久選手が身体が小さいながらハツラツとプレーする姿を自分自身に重ねていたのかもしれません。

そして、それはいつしか、憧れから夢へと変わりました。

プロ野球選手になりたい。

そう思いだしました。

卒業文集にも書きましたし、学校の先生や家族や友人にもそう言っていました。

当時大好きだった女の子にもそう言っていました。

 

「オレ、プロ野球選手になるけん。」

 

そう言って、野球漬けの生活を送りたいと、県有数の強豪校に進学しました。

 

男性と女性

 

夢破れた高校時代

 

その夢は進学早々破れることになりました。

親元を離れての下宿生活。

私は甘かったです。

自分の弱さを知らなかった。

なんと、ホームシックになったのです。

なかなか学校にも馴染めず、下宿先の先輩と上手くいかず。

気付けば、登校拒否、退学危機。

担任と副担任の先生、何回お家に来たかな?

という感じです。

退学は免れましたが、野球部を退部しました。

 

正直、ダサいです。

 

中学時代の先生や友人、家族、大好きだった女の子に声高々に宣言してからの進学。

そして挫折。

この事が、自分自身への信頼を失くし、自信を失う出来事となりました。

これが、私の内面のコンプレックスとなりました。

 

運命のスポーツトレーナーの学校への進学

 

高校卒業後、スポーツトレーナーの専門学校に進学しました。

初めての一人暮らし、バラ色の青春が待っている。

そう思っていました。

 

がしかし…

 

福岡での一人暮らしをして数ヶ月経った頃。

19歳の夏に外見のコンプレックスを持つ事になります。

この頃、顔中にニキビができました。

 

本当に顔中です。

 

正常な皮膚がないくらい酷かったです。

これが、つい最近までコンプレックスでした。

コンプレックスがある時というのは、毎日が曇り空のような日々でした。

楽しいことをしていても、友達と遊んでいる時も、気になるのはコンプレックスのことばかり。

 

なんでなんだ…

 

なんでオレばっかり…

 

なんで、なんで、なんで…

 

そう思う日々でした。

 

食生活にも気を配りましたし、有名な皮膚科にも通いました。

岩盤浴がいいと聞けば学校の合間を縫って通いつめましたし、アミノ酸で洗顔すればいいと聞けば毎日アミノ酸で洗顔しました。

保険が効かない美容皮膚科でレーザー治療もしました。

周りからは、コンプレックスを持っているよに見えなかったと思います。

 

これ、本人の問題なんですね。

 

だから、もしかしたら、あなたにも人からは見えない悩みや、コンプレックスがあるかもしれません。

人に悟られないように振舞って苦しい思いをしているかもしれません。

 

その気持ちわかります。

 

コンプレックスを克服するにはカギがあるということにこの時はまだ気づかずにいました。

あなたもきっとまだ気づいていないでしょう。

 

そして、専門学校2年目から、現場経験を積むため、中洲のゲイツビルというビルの5階にある温浴施設の中にある治療院でアルバイトをすることにしました。

この時、師匠の山口司さんに出会いました。

治療院の院長をしていた山口さんに、何から何まで基礎という基礎を教えてもらいました。

山口さんは、鍼灸あんまマッサージ師という国家資格をお持ちで、知識量・経験値・コミュニケーション力がズバ抜けてすごかったです。

 

山口さんみたいになりたい!

 

そう思い、鍼灸あんまマッサージ師の資格を取得するために、新たに学校へ行くことを決意しました。

しかし、そこには学費という大きな壁がありました。

 

学費を貯めるために陸上自衛隊へ

 

専門学校に進学するには、かなりの額のお金が必要でした。

その学費を貯めるためにに陸上自衛隊へ入隊しました。

こんなフェミニンな顔をして、元陸上自衛隊員です。

異色の経歴ですよね。

厳しい厳しい訓練の日々を乗り越えました。

匍匐前進(ほふくぜんしん)や射撃、大砲を撃つ訓練や、モールス信号や暗号でのやり取りなど、普通は経験できないことを経験させて頂きました。

連帯責任という悪魔の響きに何回も腕立て伏せを課せられました。

自分だけできればいいという考えはこの時になくなり、どうやってみんなできるようになるかなと考えるようになりました。

そして、他人に対して寛容になったのもこの頃からかなと思います。

普通に生活しているより、”死”を身近に感じていたので、自分を律することの重要性や規律を守る重要性が身についたのではと思います。

 

陸上自衛隊

陸上自衛隊

陸上自衛隊

 

祖母と義理の兄の死

 

ちょうど陸上自衛隊の2年任期満了寸前に、大好きだった祖母と義理の兄を亡くしました。 

亡くして初めて大切さを知る。

よく聞く言葉ですが、身にしみてわかりました。

祖母の死という出来事は、自分自身を見つめ直すきっかけになりました。

それと同時に、祖母にもっと何かできたんじゃないか?と罪悪感を持つことにもなりました。

それがのちに、自力では治療院に通えない方への訪問鍼灸マッサージを開業するということに繋がっています。

そして、同時期に義理の兄の死。35歳という若さでした。

残された姉や、その子ども達。

まだ3歳と1歳でした。

そんな義理の兄を取り巻く環境の悲しみに触れることにより、人々の背景まで見るようになりました。

 

本人だけじゃなく、家族や周りの人達のことですね。

 

人を大事にするという事は、その人の背景や周りの人々までも大切にすることなんだと気付かされました。

そんな思いを胸に刻んだ経験でした。

 

家族写真

 

2年の陸上自衛隊任期満了で鍼灸マッサージの学校へ進学

 

2年の陸上自衛隊を任期満了し、静岡県熱海市にある鍼灸あんまマッサージ師の専門学校へ進学しました。 

九州を離れるということがこんなに寂しいなんて思わなかったです。

ここからまた3年かぁと長く感じてしまったことを思い出します。

 

1歩1歩ってことですね。何もかも。

 

鍼灸あんまマッサージ師の学科には、高校卒業して間もない人や、定年間際で退職してきた50代の人まで幅広い年齢層の人がいました。

幸運にも、同い年の人が多いクラスでしたので、楽しく勉強することができました。

さすが国家資格を取得するための学校。

勉強する内容も深く、東洋医学と西洋医学の両方を勉強しました。

アルバイトをしながらの学校生活で、いろいろ大変な時期もありましたが、無事に鍼灸あんまマッサージ師の国家資格を取得することができました。 

頃合いを見て、熱海でお世話になった方にご挨拶をしに行こうかと思います。

 

鍼灸あんまマッサージ師として福岡の整骨院に勤務

 

国家資格を取得して、全国でも有名な整骨院に就職しました。

そこでは、ヘルニアの患者さんやスポーツでケガをされた方の鍼灸治療や、お灸女子達に対して東洋医学を用いての冷え対策・代謝アップなどの女子力アップのための治療、猫背改善・骨盤調整などの骨格改善に携わりました。

1日に20人以上、2年間で12000人。

かなり長い時間ハードにやったのを覚えています。

この経験が今となっては貴重な経験だと思っています。 

そんな中、いつも頼ってばかりいた父が鬱病を患ってしまいました。

正直動揺しました。

どうにかしたい気持ちで、NLPという心理学を学ぶようになりました。

心理学を学ぶようになり、患者さんからカウンセラーみたいだから、いろいろ話せるという事を言ってもらえました。

実は、心理学の勉強というのは、対人関係の勉強からではなく、自分自身とのコミュニケーションから勉強します。

 

自分自身と向き合う事により、僕自身の価値観と触れることになりました。

 

そこでわかった自分がしたいこと。

それは、”おばぁちゃんへの恩返し”と”パーソナルトレーナーでクライアントさんの悩みを解決する”ということでした。  

 

訪問鍼灸マッサージ開業とパーソナルトレーナー活動開始

 

整骨院での治療の大部分は、マッサージやストレッチ、骨盤矯正や猫背矯正という、患者様が受け身で行うものでした。

もちろん、多くの患者さんのお役に立てたと思います。

多くの姿勢改善に携わらせて頂いて、多くの女性達が、姿勢改善によって、立ち姿美人になっていくのを見届けてきました。  

しかし、どうしても、受け身の治療や猫背矯正、骨盤矯正では創り上げられない”美”がることに気づき、限界を感じました。 

この気づきが、自分がやりたい事に拍車をかけて、2年間お世話になった整骨院を退社することを決意しました。

2年間の整骨院勤務を終え、”おばぁちゃんへの恩返し”のため、自力で治療院に通えない方への訪問鍼灸マッサージを開業しました。

以前勤めていた整骨院の社長や上司達のおかげで立ち上げて、波に乗ることができました。

 

本当に感謝しています。

ありがとうございます。

 

訪問鍼灸マッサージのは、脳梗塞で片麻痺になった方や、寝たきりの状態で関節が固まっている方への治療が大部分です。

脳梗塞後遺症の片麻痺はおばぁちゃんと同じ症状です。

 

そして、訪問鍼灸マッサージを運営しながら、もうひとつの”パーソナルトレーナーとしてクライアントさんの悩みを解決する”ということで、パーソナルトレーナー活動を開始しました。

整骨院併設のスタジオや、加圧トレーニングスタジオで活動させていただきました。

でも、自分はパーソナルトレーナーの中でもどんなパーソナルトレーナーなんだろうと考えだしました。

 

メンターとの出会い

 

パーソナルトレーナーの活動を開始し、どんなパーソナルトレーナーなんだろうと考えていた頃、メンターに出会います。

「日本人を世界のリーダーに」をミッションに掲げる、セルフリーダーシップ開発コンサルタントの佐々木浩一さんです。

人と人との「信頼」や家族の「絆」を成功の鍵としているコーチングの方です。

彼が提供しているプロフラムを受講して、自分自身と向き合うことになりました。

自分自身の過去を振り返り、その時の思いなど、棚卸しの作業。

良いことも嫌なことも思い出しました。

 

正直キツい作業です。

 

しかし、その自分自身の棚卸しのおかげで、どんな人生を歩んできたのか、どんな人に役に立つことができるか、どんなパーソナルトレーナーになるのかがハッキリしてきました。

 

”美シルエットを創るスタイルアップの専門家”誕生

 

高校生時代の不登校・退学危機・野球部退部という内面のコンプレックスと19歳の頃からの外見のコンプレックスの2つのコンプレックスを克服しました。

他の人から見れば、コンプレックスがあるとは思われていなかったと思います。そんな状態でも私はコンプレックスの塊でした。

 

私以外にも、誰にも言ったことのないコンプレックスを持っている方がいるのではないか。

そう思っています。

 

そして、そんな方にコンプレックスを克服した後の世界を味わって頂きたいと思っています。 

”コンプレックスを克服して自分を好きになる人で溢れる世界”というミッションのもと、”美シルエットを創るスタイルアップの専門家”として活動しはじめました。

実は、身体創りとコンプレックス克服には見た目の変化以上の関係があります。

 

美脚・美姿勢創り専門パーソナルサロン開業

 

そして、美脚・美姿勢創り専門パーソナルトレーニングスタジオをオープンさせました。

整骨院時代に気づいた、受け身の施術だけでは創り上げれない”美”。

普通のトレーニングと食事制限をして痩せたとしても、それだけでは創り上げれない”美”。

その両方を経験してきて、

 

なぜ、そうなるのか? 

どうしたら解決するのか?

 

それがわかりました。

 

そして、今もなお、”美”を追求しながらも、思った通りの結果を出せない女性達が多くいます。 

そんな女性の方々を救えたらと思っています。

では、なぜ、美脚・美姿勢創り専門にしたのか?

そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 

まずひとつは、脚のコンプレックスで悩まれる女性が多いということです。 

 

そして、美姿勢を手に入れると、デコルテラインの持ち上げによるバストアップや、くびれ創りに直結するからです。

 

ですので、美脚と美姿勢を手に入れると、美しいシルエットを手に入れることができるということで、美脚・美姿勢創り専門にさせて頂きました。 

 

最後にひとこと 

 

こういった経緯で、美脚・美姿勢創り専門パーソナルトレーニングスタジオをオープンさせたのですが、1番伝えたいことというのをお話しします。

今までの人生の大半で、コンプレックスに悩まされてきた私自身、多くのチャンスを取り逃がしてきたなと思っております。 

自分に自信がなく、決断できずに、結局足踏みしてしまう。 

大好きな女の子をデートに誘うことができずに、結局そのそのまま恋が終わる。   

もう、いろんな場面で、自分に自信が持てませんでした。 

そして、コンプレックスを克服し、コンプレックスの本質を知ることができました。

 

そのカギは、自分への信頼と自分の在り方。

 

カラダ創りとコンプレックス克服は、見た目の変化以上の関係があります。 

そして、カラダ創りの中でも、美脚と美姿勢創りは、コンプレックス克服の本質とつながります。 

自分との約束を守れる自分を創ること、自分にとって大事な事をやり続ける自分を創ることがコンプレックス克服の本質です。 

美脚と美姿勢創りは、自分との約束事がたくさんあります。 

それを守っていく過程において、見た目が変わり内面までも変わっていきます。 

そして、自分自身を信頼することができるようになり、自分を好きになります。 

 

自分を大事にして、自分自身を愛せる人はステキです。 

そして、いきいきと自分の人生を生きて欲しいと思っています。

 

美脚と美姿勢を手に入れて。

 

一足先に、美脚と美姿勢を手に入れて、コンプレックスを克服した私からのメッセージでした。

では、あなたに会えるのを楽しみにしています。  

 

 

 

 

あなたの人生がより輝くようお手伝いします。

”美シルエットを創るスタイルアップの専門家”

田上雅寛(たがみ まさひろ)